第1回 県内最古の岩石からなる山

 
 
約3.5億年前の蛇紋岩からなる龍王山(615m)の頂上
 
約3億年前の玄武岩からなる福智山(900m)の頂上
 
約3億年前の変成岩からなる戸ノ上山(517m)と足立山(597m)

 第1回 県内最古の岩石からなる山 

5億年前、地球の表面は「ゴンドワナ」とよばれる一つの超大陸でした。このゴンワナ大陸の一部の岩石が、福岡県内で最も古い岩石の山となっています。それは約4億9千~4億2千年前(古生代のオルドビス紀~シルル紀)の斑れい岩石からなる畝原山(667m)です。斑れい岩は深成岩の一種で、陸上で噴火すれば玄武岩となる岩石です。この斑れい岩帯の南北には、4~3億年前(古生代後期デボン紀~ペルム紀)に変成作用を受けた蛇紋岩・変成岩帯(かんらん岩を含む)が付随しています。畝原山の北に位置する鉾立山(663m)、あるいは南に位置する龍王山(615)mがこの岩石からできています。また、これらの山の周囲には、玄武岩、斑れい岩、泥岩が低温高圧型の変成作用うけた変成岩からなる西山(645m)、犬鳴山(583m)、若杉山(681m)、立花山(367m)があります。また背振山地にもこれと同じ変成岩が、雷山(955m)から井原山(982m)にかけての地域に分布します。これは花崗岩質マグマによって押し上げられて残ったものです。これらの変成岩は三郡変成岩とよばれていますが、三郡山(936m)そのものは花崗岩からできています。

 一方、北九州の戸ノ上山(517m)、足立山(597m)、筑豊の福智山(900m)、金国山(421m)は、古生代の3~2億年前に海洋プレートの上に堆積していた岩石が、海洋プレートが陸のプレートの下に潜り込む込むときに剥ぎ取られ、陸側に付加し、その後に隆起した岩石からできています。このような地質は付加体とよばれます。戸ノ上山と足立山は海成層の泥岩、福智山は海底の玄武岩、金国山はチャートからできています。なお、この時代の石灰岩からなる山もありますが、次回に説明します。

 つまり、福岡県の古生代の山は、南半球にあったゴンドワナ大陸の一部とそれに付加した岩石が、2億年前から分裂して現在の場所まで移動してきました。その間、何回かの造山運動をによって隆起し、そして侵食されて約600~900mの山となりました。

 

 

 
 

 第2回 石灰岩の山

 
大平山から眺めるカルスト台地。いくつか見られる凹地はドリーネです。
 
香春岳。手前の一ノ岳はセメントの原料として削られ、平になっている。
 
古処山山頂の石灰岩の岩。

 第2回 石灰岩の山 

石灰岩からなる山といえば、県内では平尾台(大平山587m)や香春岳をすぐに挙げることができるでしょう。これらの石灰岩は古生代の石炭紀からペルム紀(3.6~2.5億年前)に海洋プレートの上に堆積した珊瑚や貝類などの死骸などから形成されています。海洋プレートが移動して大陸プレートに衝突した際に圧縮されて付加体となり、その後に隆起して陸上に現れたものです。

 平尾台はカルスト台地として有名です。ここには高さ1~2mのピナクル(石塔)と呼ばれる丸みをおびた石灰岩の小さな突起が多数分布します。そのピナクルは、あたかも羊が草を食んでいるような景観を呈することから「羊群原」と名付けられています。また直径数10mのすり鉢状の凹地(ドリーネ)も見られます。このような景観はカレンフェルトとよばれています。石灰岩は水に溶ける性質があるので、雨水が窪地にたまると周囲を溶かしていき(溶食という)、だんだん窪地が大きくなっていきます。その雨水は窪地の割れ目から地下に浸透し、長い年月の間に地下水路となって鍾乳洞を形成します。平尾台には、千仏鍾乳洞や不動洞などいくつかの事例が知られています。通常、石灰岩には珊瑚や貝の化石が含まれていますが、平尾台では1億年前に貫入した花崗岩の熱により大理石のように変成したため、化石はほとんど見られません。石灰岩はセメントの原料となるので、平尾台の西では大規模な採掘が行われています。

 香春町のシンボルになっている香春岳は一ノ岳、二ノ岳(468m)、三ノ岳(508m)の三つのピークがありますが、491mあった一ノ岳は1935年から採掘が始まり、今では標高約250mまで削られて台形のような山容になっています。現在は二ノ岳、三ノ岳の登山が可能です。そのほか、嘉穂アルプスと呼ばれている山稜の中で、屏山(927m)から古処山(859m)にかけての稜線に石灰岩が露出しています。古処山頂近くの石灰岩は結晶に粒が小さく、米粒ほどの大きさになることから米石とよばれています。

 

 第3回 花崗岩の山

 
立石山のトア
宝満山山頂の花崗岩
岩石山の国見岩
 第3回 花崗岩の山
 
 花崗岩は地下深部のマグマが冷え固まった深成岩で、石英、長石、雲母からできています。長石にはカリ長石と斜長石が含まれますが、後者が多くなると花崗閃緑岩となります。県内には花崗岩と花崗閃緑岩が分布していますが、ここでは一括して花崗岩として述べていきます。
 地下深部で固結した花崗岩が、なぜ、地表に現れているのでしょうか。それは、地殻運動によって隆起することもありますが、花崗岩は周囲の岩石より軽く、密度が小さいので、ゆっくりと浮き上がるからです。花崗岩は風化されやすい性質があるので、地表に現れると、風化・侵食が進み、岩塔(トア)や岩海、あるいは北アルプスの真砂岳のように砂状(マサとよばれる)になった斜面など特徴のある地形がみられます。
 福岡県には花崗岩の山が多くみられます。背振山地は、背振山(1054m)から十坊山(535m)まで、雷山(古生代の変成岩)など一部を除いて、白亜紀後期(1.2億年~1億年前)の花崗岩から形成されています。また、糸島半島の立石山(209m)や可也山(365m、但し頂上は新規の溶岩からなる)なども同じ時代の花崗岩です。立石山には花崗岩が風化・侵食によって形成されたトアとよばれる岩塔が見られます。また、三郡山(935m)や宝満山(829m)など三郡山地も同じ時代のものです。宝満山頂上の花崗岩の大きなブロックはまさにコアストーンです。
 筑豊地方の岩石山(454m)、北九州の貫山(711m)は白亜紀後期の1億から8千万年に形成された花崗岩の山です。岩石山の頂上付近には「八畳岩」や「国見岩」と名付けられた花崗岩のトアがあります(写真3)。貫山の北方の谷(ソコ谷)には花崗岩の岩塊の多くが谷を埋めて岩海となっており、県内では珍しい地形です。なお、企救山地の北西山麓には花崗岩の一部が残存しているのが見られますが、この地域の花崗岩は風化されやすく、大部分が侵食されてなくなりました。この花崗岩が侵食された部分に海水が浸入して関門海峡が形成されました。
 

第4回 1億年前の岩石からなる山

 
 城山から見た皿倉山と権現山
 
六ヶ岳
 
宗像四ツ塚連山
 

 第4回 1億年前の岩石からなる山

  約1億3000年前の日本列島は、現在の姿とは大きく異なっていました。東北日本と紀伊半島、四国南部、九州中部を含めた西南日本は、現在よりはるか南に位置していまし。その西南日本はやがて北上し、約7000千年前までに大陸の縁にあった本州中部から北部九州までの陸地と合体しました。福岡県の北部には、この時代の地質からなる山があります。

 北九州市の皿倉山(622m)から尺岳(606m)・金剛山(562m)と続く山域は、中生代前期白亜紀(1.45~1億年前)に陸上で堆積した砂岩・泥岩からなる。ただし、皿倉山と権現山(617m)の一部は1億年より少し前に噴出した安山岩の溶岩に被われ、途中の音滝山(416m)はマグマが上昇して地中で固結した安山岩が、その後の侵食により地表面に現れたものです。また、風師山(364m)もこの時代の砂岩・泥岩からできており、若松半島の石峰山(302m)は皿倉山と同じ火山岩からできています。

 尺岳などと同じ岩石からなる鞍手町の六ヶ岳(338m)は、鞍手富士と呼ばれるように、独立峰のような山体をしています。六ヶ岳は福智山断層(断層を境に東側が隆起し、西側が沈降)より西側の沈降部に位置します。六ツ岳の周囲は約4000万年に海水が浸入し、浅瀬は汽水域となって植物が繁茂し、やがてその上に砂岩・泥岩などが堆積しました。この当時、六ツ岳は山体を維持していたので、あたかも島のように見えたでしょう。後に、これらの植物は炭層となり、筑豊炭田のもととなりました。

  宗像地域の湯川山(471m)から城山(369m)にかけ「宗像四ツ塚連山」と呼ばれる山地も1億年少し前に安山岩類の溶岩の噴出によって形成されたものです。同じ起源の山は、宗像市大島の御嶽山(214)、福津市の対馬見山(243m)や在自山(235m)、若宮市の笠置山(425m)などがあります。
 
 
 
 
 

 第5回 火山活動で形成された山

 
 
溶岩ドーム状の英彦山中岳(1188m)
 
凝灰角礫岩に形成された虛空蔵窟
 
安山岩質溶岩が急斜面をなす求菩提山
 
 第5回 約500万年前の火山活動で形成された山
 
 約700万年前から500万年の日本列島は、火山活動が活発な時代でした。福岡県の南東部から南部にも、この時代に噴火した火山岩からなる山々があります。県の最高峰である釈迦岳(本釈迦、1296m)、御前岳(1209m)や石割岳(941m)など県南の山々は安山岩類の溶岩と火砕岩より形成されていますが、その後の侵食によって火山としての地形は認められません。
 英彦山(1199m)は、500万年よりやや古い時代に形成された凝灰角礫岩の上に、約400万年前に噴出した溶岩から形成されています。この溶岩は粘性の大きな安山岩類よりなるので、英彦山の北岳、中岳、南岳はそれぞれ溶岩ドーム状の火山地形を保っています。北西方向に流れたこの溶岩の末端は、英彦山参道の石の鳥居付近で確認できます。また北東では、北岳登山道の「溶岩の壁」と記された急崖が、溶岩の末端に当たる。凝灰角礫岩は凝灰岩部分が脆く侵食されやすいので、しばしば横穴のような地形(石窟)が形成されます。修験者は、この石窟を修行の場として利用しました。英彦山には49の石窟があるが、多くは凝灰角礫岩分布域に一致します。周辺の黒岩岳(878m)、上仏来山(685m)障子ヶ岳(896m)、鷹ノ巣山(979m)も同時代に形成された溶岩ドームの火山です。英彦山から西へ続く岳滅鬼岳(1037m)~大日岳(829m)は、英彦山などと同時代に噴火した安山岩類の火山ですが、侵食が進み痩せ尾根となっているところもあります。また、修験道の山であった求菩提山(782m)は、火山砕屑岩の間に何枚かの溶岩層からなり、標高約600mより上は硬い溶岩層で形成されています。その溶岩層の下の浸食されやすい火山砕屑岩には、修行の場であった5つの石窟があります。
 嘉麻市には、地元で山田小富士と呼ばれる摺鉢山、別名・帝王山(213m)があります。約250万年前頃に玄武岩溶岩を噴出した単成の火山です。まさに富士山のような山体です。同様の山は嘉麻市碓井の琴平山(123m)、黒崎駅の北にある道伯山(62m)と妙見山(41m)、水巻駅の北にある日ノ峰(114m)、豊前坊山(75m)、明神辻山(96m)などがあります。また津屋崎の東郷公園、能古ノ島、玄海島、可也山、姫島などの頂上付近は玄武岩の溶岩に覆われています。なお、芥屋大門は玄武岩溶岩が冷え固まったときに形成された柱状節理です。
 
 

  第6回 断層山地

  
 西山断層崖
 
 
 福智山断層崖
 
小倉東断層と竜ヶ鼻

 第6回  断層山地

 断層運動は、図のように、垂直ずれ断層である正断層と逆断層、水平ずれ断層の横ずれ断層があります。断層を境に隆起した側の地塊が断層山地となり、その斜面は断層崖とよばれます。

 戦前、地理学者で日本山岳会名誉会員(会員番号21番)であった辻村太郎は、福岡県の断層地形として、背振山断層崖、七曲峠断層崖、西山断層崖、犬鳴峠断層崖、砥石山断層崖の存在を、また、山地の両側を断層で限られた地塁山地として、皿倉山から牛斬山までの南北の山稜、平尾台から飯岳(大坂山)などをあげています。

 戦後になると、断層地形の研究は活発となり、特に活断層(数十万年以降、繰り返し活動し、今後も活動が予想される断層)の存在が次々と明らかにされました。県内では、日向峠-小笠木峠、警固、宇美、西山、福智山、小倉東、水縄断層が活断層として認定されています。それぞれ断層の背後には断層山地が連なります。例えば、宇美断層は若杉山~宝満山、西山断層は西山から南へ延びる山稜(写真1)、福智山断層は皿倉山~尺岳~福智山(写真2)、小倉東断層は足立山と平尾台~竜ヶ鼻、水縄断層は高良山~鷹取山に伸びる東西の山稜などが断層山地となり、それぞれ断層線に向けた斜面が断層崖となっています。一般的に断層崖は、急斜面となることが多く、登山道は急登であり、汗をかきながら登ることになります。

  なお、数万年前から上記の活断層の多くは、左横ずれ断層の動きを伴っています。また、宇美断層や福智山断層などは、断層山地に向けた逆断層の動きも見られます。すなわち、福岡の断層山地は数百万年前の断層運動によって隆起した山地であり、その山麓部で新たな断層運動が生じていると言うことになります。