人新世

 
 
1. 人新世とは何か
 
 
【人新世とは何か】
 2000年2月23日、パウル・クルッツェン(Paul J. Crutzen)がメキシコのクエルナバカで行われていた地球圏・生物圏国際共同計画(IGBP)の会議の席で、突然、「まて! 今はもはや完新世ではない。人新世だ」と発言したことで、人新世の議論が始まった。クルッツェンは、18世紀後半の産業革命以後、人間活動によって地球の環境がいかに改変されてきたか、そしてその影響は気候変動のように地球システムの悪化となって現れていることを根拠として、新しい地質時代としての人新世を提案してきた(Crutzen &  Stoermer 2000, Crutzen 2002, Crutzen & Steffen 2003)。18世紀後半の産業革命以後、化石燃料の大量消費を伴う人間の経済活動や生活によって、地球環境が大きく損なわれ、今世紀に入り、気温上昇が顕著となり、「気候変動」「地球温暖化」という言葉が生まれるほどの状態になってきた。

 ロンドン地質学会の層序委員会のメンバーは、クルッツェンが言及した人新世の議論を詳しく説明し、新しい地質時代を設定するために使用されたのと同じ基準を適用して、新しい用語が本当に正当化されるか、または必要かどうか。もしそうなら、その境界はどこにどのように配置されるのかを検証することにした(Jan Zalasiewicz,et al. 2008)。国際地質科学連合(IUGS)の「第四紀層序小委員会」は、地質時代の転換時期を決定する地質学的証拠を求めて調査を開始し。原子爆弾投下とその後の急速な経済発展の契機となった1950年を人新世の開始時期と仮定して調査が進んだ。

 2024年3月21日、カナダのモントリオールで開催されたIUGSの「第四紀層序小委員会」は、2月から3月にかけて行われた投票の結果、完新世が終わり新たな地質時代として提案された「人新世」を、反対12,賛成4,棄権3となり、正式に否定した。しかし、クルッツェンの人新世は、地質学的転換だけではなく、自然、社会、経済、人間を含めた地球生態学的転換を意図したものであり、新たな地質学時代(epoch)が否定されたとしても、過去・現在・未来の地球のあり方を、地球システムの転換と捉えて認識することは、極めて重要だと考える。

 気候危機、地球温暖化などによって私たち将来の生活・生存が危ぶまれている現在、クルッツェンの人新世の本質を理解し、地球の危機から回避する方策を講じることが重要である。私たち人間は地球システムに組み込まれており、私たちの活動が地球システム(ジオエコシステム)に影響を与え、その善し悪しに関与する。地球システムを健全な状態に改善・維持していくためには、一人一人がこの地球を愛する(Geo Philia)という意識をもって行動しなければならないと考える。地球を破壊する様々な行為がなくなり、地球をいたわる行動が増加し、地球システムは健全な状態を維持することができよう。
 
 
◆クルッツェンの略歴
 
1933年12月3日 アムステルダムで生まれる。
 1959年 ストックホルム大学気象研究所、研究員。
 1968年 ストックホルム大学で博士号(気象学)取得
 1980年~2000年 マインツ(ドイツ)のマックス・プランク化学研究所の所長。2000年後、名誉会員。
 1995年12月10日  Mario Molina、Frank Sherwood Rowlandとともに、ノーベル化学賞を受賞。
 2021年1月28日 没
 
Crutzen, P.J. & Stoermer, E.F. (2000):The “Anthropocene”、IGBP Newsletter 41.17-18.
 
◆Crutzen, P.J.(2002):Geology of mankind. Natur, Vol.415, 23-24.
 
◆ Zalasiewicz, et al. (2008) : Are we now living in the Anthropocene?  GSA Today, 18(2), 4-8.
 
 
 
 
 
 
2. 人類の地質時代としての人新世
               
 
 

  産業革命以後、人間はいかに地球を改変し、人新世に転換させたのか。  
 クルッツェンは以下のような事例を挙げ、その根拠とした

 ・過去 3 世紀の間に、人口は 10 倍に増えて 60 億を超え、今世紀中には100 億に達すると予想した。
 ・メタンを生成する牛の個体数は 14 億頭に増加した。
 ・地球の陸地表面の約30 ~ 50% を人間が利用している。
 ・熱帯雨林は速いペースで消滅し、二酸化炭素を放出し、種の絶滅を大幅 に増加させた。
 ・ダムの建設と川の改修が当たり前のように行われた。
 ・利用可能なすべての真水の半分以上が人類によって使用している。
 ・漁業では、湧昇海域では一次生産の25% 以上、温帯大陸棚では 35%以上を漁獲している。
 ・エネルギー使用量は20世紀の間に16倍に増加した。
 ・すべての陸上生態系で自然に固定されるよりも多くの窒素肥料が農業に適用されている。
 ・化石燃料の燃焼と農業により、温室効果ガスの濃度が大幅に増加し、二酸化炭素は30%、
  メタンは 100% 以上増加し、過去4億年で最高レベルに達し、さらに増加する可能性がある。

 そして、次のように指摘している。
   これまでのところ、これらの影響は主に世界人口のわずか 25% によって引き起こされている。その結果は、とりわけ、酸性雨、光化学スモッグ、気候温暖化である。したがって、気候変動に関する政府間パネル (IPCC) による最新の推定によると、地球は今世紀中に 1.4 ~ 5.8 ℃の幅で温暖化する。

 

 

 

 

◆2024年に世界人口は約81億人となった。

◆牛のゲップはメタンガスを発生する。

◆都市・農林地などの土地改編。

◆現在、第6の種の絶滅期にある。

 

 

 

◆Crutzen, P.J.(2002):Geology of mankind. Natur, Vol.415, 23-24.

 

 
 
3. 人新世の3つのステージ
 
 
 
 クルッツェンの人新世の3つのステージ
 
 人新世の議論において、このステージ区分を取り上げられることは少ないが、地球温暖化の進展など地球システムの影響を捉えるには、3つのステージを理解することが需要と考える。ここでは、ステッフェン、クルッツェン、マクネイルの、「人新世:人間は今、自然の偉大な力を圧倒しているか? 」と題する論文(Steffen, et al. 2007)を参考に簡単にまとめた。
 
 人新世第1ステージ:産業の時代(1800年~1945年頃)
 1780年代におけるジェームズ・ワットによる蒸気機関の発明(改良)と化石燃料への転換によって産業が発展した時代。1800年から2000年までに人口は6倍以上,世界経済は約50倍,エネルギー利用は40倍増加した。大気中の窒素から得られるアンモニアを合成して肥料とすることで,農業革命を起こし,世界中の作物収穫量を増大させた。そして,森林伐採,農業への転換,巨大ダムの建設による水循環の改変を通じて,20世紀半ばまでに,産業の時代における地球環境への痕跡は明白になった。
 
人新世第2ステージ:大加速時代(1945年頃~2015年頃)
 第2次世界大戦以後,産業は復興し急速に発展したが,地球システムへ大きな負荷を与えるようになった。それが,第2ステージの「大加速時代」の特徴である。人口はわずか50年間で2倍,世界経済は15倍以上に,石油消費は1960年以降3.5指数増加し,自動車の生産台数は終戦時の4,000万台から7億台に,都市人口は世界人口の30%から50%に増加した。コンピューター・ネットワークを利用したコミュニケーションの激増,グローバルツーリズムと経済のグローバル化の進展があった。しかし、人間は人類史上類例のないほど急速に,また広範囲にわたって地球の生態系を改変した。地球はその第6の大絶滅期にある。人間活動による地球環境への圧力が急激に増大し、温室効果ガスの増大などにより地球温暖化が急速に進んだ。
 
 人新世第3ステージ:地球システムの管理者の時代(2015年頃以降?)
1980年代後半からの新自由主義のもとで、グローバル化による地球への負荷はさらに拡大し、地球温暖化は不可逆的に進行し、巨大台風の発生、洪水被害の拡大、大規模な森林火災の発生など、私たちの生活を脅かしてきている。

   第3ステージは、人間活動によって地球環境が悪化したことを反省して,温室効果ガスの削減に向けた政策を策定し,行動し,そして地球システムにおける持続可能性をめざす「地球管理者の時代」である。それには、これまで通りのビジネス(BAU:business-as-usual)を目指すのではなく、クルッツェンは,地球規模の変化による脅威は極めて甚大であるので,先を見越した行動をとることが必要であるとの認識に立って,緩和策という将来への代替経路を提案している。

 重大な課題として,「脱物質化と変容する社会的価値の傾向が,グローバル化する私たちの社会をさらに持続可能な社会へと転換させる誘因となり得るほど強力なものになっているか否かである」と,地球システムにおける持続可能性が重要であると指摘している。地球システムに対する人間の圧力を軽減させて,私たちが生活する地球を持続可能なものへと転換させなくてはならない。そして今日,私たちは「地球管理者の時代」に生活していることを認識し,地球システムと地球上に生活するすべての人々に対して,正義を持って行動していかねばならない。
 
 
 
 
 
 
 
◆日本では明治維新後の近代化によって産業革命をなした。
 1901年の八幡製鉄所の操業開始。北海道や九州における石炭産業の勃興。
 日清・日露戦争、第1次・第2次世界大戦による軍事産業の発達。
   人口は、明治始めの約3,300万人から終戦時には約7,100人となった。
 
◆日本では、1950年の朝鮮戦争特需によって戦後復興を遂げ、1960年代からの高度経済成長により、太平洋ベルトの工業生産の拡大。
 1960年代後半の公害の発生。
 人口は2000年に12,693万にとなった。
 
◆日本では近年、地球温暖化が関係していると考えられる豪雨災害が頻発している。
 2017年 九州北部豪雨 死者41人
 2019年 台風19号 死者114人
 2020年 九州南部豪雨 死者86人
 2023年 秋田・山形豪雨 死者3人
 2024年 能登半島豪雨
 東北、北海道で豪雪となる頻度が高まっている。
 
◆企業ではCO2の排出量削減の動きが見られるようになった。しかし、石炭火力への依存度が高い。国民の環境意識は高まってきているが、多くは行動が伴っていない。
 
◆日本では、人新世第3ステージ:「地球システムの管理者の時代」という実感はうすい。
 
Steffen, W., Crutzen, P. J. and Mcneill, J. R. (2007):The Anthropocene: Are Humans Now Overwhelming the Great Forces of Nature?  Ambio, Vol. 36, No. 8, pp. 614-621.
 
 
4. クルッツェンの人新世の本質
 
 
 
地質時代として一つの時代(epoch)が否定されたが、クルッツェンの意図した人新世の本質は何か。ミュラー(Muller2019)のインタビューを受けてクルッツェンが語った言葉からそれを探ってみたい。

「あなたは2000年に今日の地球の時代・人新世と名付けることを提案しました。現在の時点での,あなたの結論は何ですか?」
 クルッツェンは「過去約60年間,我々の地球上に深刻な変化が起こったことを明確に確かめることができます。その変化は世界経済プロセスの変化と密接に関連しています。しかし,社会が人新世をジオエコロジー的事実として認知する用意ができているかどうか,私は疑問に思います」と。続けて「ほとんどの人にとって,人新世はなじみのない,異質なテーマであり,時々誤解されます。私は,この議論を,すぐにでも必要とされているエコロジカルな新しい方向をもたらす機会とみなしています」と述べている。
 クルッツェンがジオエコロジー的事実という用語を使用したのは,今日の地球問題を大気圏まで含めた地球上のあらゆる自然的因子と地質学的な力(geological force)としての人間が関与した地球システムとして捉えなければならないと考えたからであろう。

 「あなたは人新世をどのように理解しているか」
 クルッツェンは「地球科学研究の傘を形成する、説得力のある用語だと思う。それにもかかわらず、質問に答えるのは簡単ではない。人新世は、私や仲間の科学者が3つのステージに分けた、産業社会によって引き起こされた地球の時代を表現している。まず始めのステージは、18世紀の終わりの産業革命から始まった時代である。その後の第2ステージは、第二次世界大戦後の大加速によって引き起こされたすべての空間的、組織的、社会文化的影響を伴う産業プロセスの驚くべき加速の時代である。これは、北の先進工業国の大きな支配の段階である。そして第3ステージは、今日すでに始まっており、倫理的原則と拘束力のあるガバナンスに導かれて、経済的、技術的、社会的発展についての我々の自省的な理解が必要だ」と述べている。
  この3つの時代とは、Steffen & クルッツェン(2007)の論文において示されたものあり、このインタビューにおいて確認されたことは、クルッツェンの人新世の本質をなすものとして捉えなければならない。

 また、「提案のきっかけは何か」
  「何よりも、気候変動だけでなく、一般的な環境に対する人間の影響でもある。私は、地球システムに対する人間に由来するさまざまなプロセスの影響に関心を持っている」と回答している。地球環境の悪化に関しては、「私たちは人為的な気候変動について多くのことを知っており、事実は明らかだ。知識は過去20年間でますます深まってきたが、温室効果ガスの排出量は増加し続け、大気中に沈着している。世界のCO2排出量は、1992年の地球サミット以来ほぼ2倍になっている。誰もが知っていることだが、いつもの通りのビジネス(Business as usual)を行うことはできず、国益と短期的な経済成長のみを見る政策は存在してはならない」
と、現状の世界経済のあり方に批判の目を向けている。
 また、こうも述べている。
 「私たちは現在の状況を変えることなく、経済的・社会的状況にしっかりと固定されている。多くは短期的にしか見られず、経済的優位性が決定している。一方で、生態学的に必要なことを強制することは困難だ。これには、根本的に新しく異なるアプローチが必要で、経済や社会における生態学的サステナブルなマネジメントに力を注ぐことができれば、絶好の機会となるであろう」と。さらに「私の結論は、私たちは気候保護、より大きな正義、そして経済革新が密接に関連している戦略を見つけなければならないということだ。とりわけ、改変は社会的に公正でなければならない」と。そして人新世は人々に自然破壊の原因を説明し、人々に新しい責任の質を要求する用語だとしている。

 クルッツェンは人新世第3ステージに入った今,第2ステージの大加速時代に地球システムを改悪し,地球温暖化をはじめとして,私たちの地球の将来が脅かされていることを反省し,責任をもって地球の管理(stewardship)をしていかねばならないことを求めているのである。そのためには,通常通りのビジネス(business as usual)を行うことではなく,国益と短期的な経済成長のみを見る政策は存在してはならないとしている。さらに新しい社会の改革が必要であり,経済や社会におけるエコロジカルで持続可能なマネジメントに力を注ぐことだと強調している。
 
 そして,「地球温暖化を抑制する対処法は,以前から知られていたが,それを怠ってきたが故に,温室効果ガスの排出量は減少していない。人は実際に問題を解決するのではなく,問題を繰り返し先送りしており,長期的にはむしろ問題を増幅することになるであろう」と指摘する。私たちは,即,対策を実行しなければならないのである。そのことに,クルッツェンは貢献したいと言うのである。

 以上のように,クルッツェンの人新世は,人間が産業革命以後の地球システムを改変した地質時代であり,危機的な地球の将来を案じ,それを回避しなければならないというメッセージである。今,人新世第3ステージに生きるわれわれは,それを自覚して,倫理的で公正な新しい社会改革に尽力していかねばならないと考える。
 
 
 
 
 
 
 
 
クルッツェンがジオエコロジーという用語を使用していることに驚いた。ジオエコロジー(Geoökologie)は私の研究の根幹であったからである。ジオエコロジーはドイツの地理学者Carl Trollが1939年に作った「景観生態学(Landschaftsökologie)」という語と同義語である。Trollは1960年に景観生態学という語が翻訳しづらいという理由から,LandschaftをGeoに替えたのである。景観生態学は,ある地域の景観を形成している因子(地形,地質,土壌,水,動物,植物,気候)の相互作用と人間によって改変された景観を分析する研究分野である。
   
 
5. 人新世の根源はA.vonフンボルト

 人新世は、西洋思想の自然対人間という二原論から、人間と自然は一体のものであるという思考への転換である。 その二元論に異議を唱えたのは、A.Von フンボルトであり、クルッツェンの人新世はフンボルトの思想が根源にある。
 
 フンボルトの『コスモス』には、「宇宙の生きた力のつながり」は「知性の完成と発展が到達できる最高の頂点を目指す努力として、人類文化の最も崇高な成果」とみなされるべきであると書かれている。彼は、自然と文化、精神と身体を反射的に対立させることのない世界理解の最も重要な思想家の一人であり、それらの密接なつながり、さらには統一に目を向けている。
    Schwägerl, C.(2012):Menschenzeit, Goldmann, München.pp.185-186.
 
 彼は南アメリカへの5年間の旅で、自然界ではあらゆるものが関連しており、互いに影響し合っていることが分かった。それは、機械ではなく、有機体である。彼は、畑の灌漑に使われたために水を失なわれた湖や、森林の伐採後に乾燥した土壌を見て、人間が介入を通じてこの生物を変え、害を及ぼし、最終的には自分自身に害を及ぼすことができることを理解した。
  生命界がダイナミックで脆弱なネットワークであるという概念は、フンボルト以来、科学的にますます科学的に確認されてきた。しかし、人間は、惑星とそれが生み出すすべてのものが彼のためにそこにあるという古い信念に従って行動し続けてきた。
 この行動は今や非常に強力になり、私たちは今、根本的な何かを経験している。つまり、私たちが地球を変える力になったことに気づきつつある。私たちは、地球上で生命が誕生して以来、かつて見られなかったほどの速さで種を絶滅させ、文明を生み出した気候条件を変えています。私たちが残した痕跡は、プラスチック、放射性降下物、コンクリートなど、何千年も岩層の中に残り続けます。
  Recherche-Kollektiv Countdown Natur: Petra Ahne(2020.10.12 RiffReporter News)

 クルッツェンは彼の研究では、アレクサンダーフォンフンボルトの伝統を自分の作品で踏襲することを試みた。「多様性の中に、外観のベールに隠されている現象である統一体を認識すること。-略- そして天と地の創造物を理解するために、物事の現象は関連の中で見なければならない」。 
 フンボルトは、内なる力によって動かされ、生命のある統一体として自然を見ていた。彼は解明と解釈のダイナミックなプロセスとして科学を理解していた。今日、グローバル時代において、私たちの世界の相互関係についての新しい知識水準が必要だ。それは、地球システムへの産業介入から始まり、それらの長期的な影響を理解し、私たちの惑星の回復力の限界を考慮に入れる必要がある。クルッツェンの研究はまさにそれを何度も繰り返してきた。
 
 
◆フンボルトは近代地理学の祖と呼ばれ、その代表的な業績は、大著『コスモス Kosmos』に集大成されている。特に、気候、大地、水界を含む土地条件と植生の関連や、植物相互の関連が、植生の全貌を決定することに着目し、観相(Physiognomie)と名付けた。
 1866年にヘッケルがエコロジーと呼んだものと同一の概念である。なお,フンボルトの研究はボン大学のトロル(C. Troll)に引き継がれ,彼は景観生態学を創始した。横山は,ボン留学時に景観生態学を学び,その後『景観生態学』(古今書院,1995)を著した。筆者がクルッツェンの人新世研究に取り組んだのは,何かの縁かもしれない。
 
 
 
 
Müller, M. (2019):Pau J. Crutzen - ein Jahrhundertmensch. Müller, M. (Hrsg.) Das Anthropozän : Schlüsseltexte des Nobelpreisträgers für das neue Erdzeitalter. München, oekom, 11-60.
 
 
 
6. 人新世を否定
 
 2024年3月5日(火)、ニューヨークタイムズは、
 「私たちは"人新世"、つまり人間の時代にいますか? いいえ、科学者は言う。」という見出しを付け、「専門家委員会が、人類が地球与えた変化ことによって定義される新たな地質時代の始まりを公式に宣言する提案を否決した」と報じた。科学者たちは、15年近くにわたる議論の末、まだそうではないと判断した。

 ニューヨーク・タイムズが閲覧した投票結果の内部発表によると、およそ24名の学者からなる委員会は、地質年代の新たな時代である人新世の始まりを宣言する提案を大多数の賛成で否決した。投票結果が火曜日の早朝に委員会内で回覧されてから数時間後、一部のメンバーは、人新世の提案に対する反対票が賛成票12対4、棄権2票という差に驚いたと述べた(他の3人の委員は投票もせず、正式に棄権もしなかった)。

  それでも、火曜日の時点では、この結果が決定的な拒否を意味するのか、あるいは依然として異議申し立てや上訴の可能性があるのか​​は不明だった。同委員会のヤン・A・ザラシエヴィッチ委員長はタイムズ紙に宛てた電子メールで、「検討すべき手続き上の問題がいくつかある」と述べたが、それ以上の議論は拒否した。ドクターレスター大学の地質学者ザラシエヴィッチ氏は、人新世を正典(正式な地質時代)として認めることへの支持を表明している。
 (以上、ニューヨークタイムズによる)
 
 クルッツェンが2000年に「人新世」の提案をした後、国際層序委員会から正式に作業部会(WGA)を結成するよう依頼された地質学者のヤン・ザラシェヴィチは、2009年から、その委員長となってになって、新しい地質時代としての人新世の仮説を科学的に検証する作業を開始した。まずは、人新世の正式な地質学的定義が正当であるかどうか、もしそうなら、その境界をどこにどのように配置するか、人新世の始まりはいつなのかを決めることであった。
 WGAは、人新世を新しい地質学的時代として確立することを暫定的に勧告した。開始日は20世紀半ばで、大加速時代の頃とした。正確な開始日は、層序マーカーによって定義される。人新世の始まりの層序記録は、湖のコア、氷床コア、および地理的に広範囲の場所からの他の層序記録との相関関係を示さなければならない。完新世と人新世の間の決定的な断絶を最も明確に示す物理的な場所として、いくつかの候補地(別府湾も入っていた)の中から、オンタリオ州のクロフォード湖に決定した。
 WGAの調査研究の結果は、2024年8月末に釜山で開催される世界地質学会議で、完新世は終わり1952年から地球の新たな時代、人新世が始まることを公式に提示されることになっていた。しかしその前に、WGAの上位機関である国際地質科学連合の小委員会は、人新世を認めるか否かの採決を実施したが、上記のように反対多数となった。国際地質科学連合は21日、人新世を正式に否定した。
  
日本経済新聞 2024年4月16日朝刊
 
 
 7.地質学的に否定されたが
 
 地質学的に否定されたが、人新世の思想は有効
 
 国際地質科学連合の作業部会が完新世後の地質時代としての人新世を否定した。ハミルトン他(2015)は、人新世には3つの定義があり、第1の地質学定義が否定されても、第2・第3の定義があり、人新世の議論を続けるべきとする。

 第1の定義:地質史における新しい時代。地層,古生物学,および同位体の証拠によって確認された主要な地質学的転換点が検出され、証拠が十分であると認められれば,新しい時代(epoch)の区切られる。

 第2の定義:人新世は層序学における人間の影響を検出できることではなく,地圏,水圏,氷結圏,生物圏,大気圏からなる地球システムの変化を反映している。これに基づき,層序学的証拠に加え,人為的な温暖化による予想される海面上昇,堆積物の大規模なシフト,種の急速な絶滅率,人工有機分子の世界的広がりを含む一連の証拠を展開することによって,新しい時代の宣言を支持する。

 第3の定義:景観の変化,都市化,種の絶滅,資源の抽出,廃棄物の投棄,窒素循環などの自然プロセスの混乱など,地球への人間の影響に関する広い概念である。人新世は人間と自然界との関係の急激な変化を示す閾値を表しているが,人間が「自然の力」になったという事実と,人間の行動と地球のダイナミクスが一体となり,もはや異なる不可解な領域に属しているという現実によって表される。種としての人間と自然界との関係における質の段階的変化を捉えている。
 
  国際地質科学連合が2024年に地質時代の人新世を否定したが、第2・3の定義が否定されたわけではない。従って,クルッツェンの解釈に従って人新世第1ステージから第3ステージまでの議論を継続すべきである。特に,人新世第3ステージに入った今日,大加速時代に地球システムに負荷を与えた結果,地球の将来が危ぶまれれている今日、人間の活動による地球への負荷を押さえた地球システムの研究と私たちの行動規範を追求していくことは,極めて重要である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆Hamilton, C. , Bonneuil, C. & Gemenne, F. (2015) : Thinking the Anthropocene. Hamilton, C. , Bonneuil, C. & Gemenne, F. (Eds) The Anthropocene and the Global Environmental Crisis: rethinking modernity in a new epoch. London, Routledge.
 
 8.人新世と地球システム
 

 2003年に,クルッツェン他は,「どのくらい長く私たちは人新世時代にいるのか」と題する論文を発表した(Crutzen & Steffen 2003)。その中で地球システムの語を用いて以下のような解説をしている。

  • 地球システムの構造(土地被覆,沿岸地帯の構造など)と機能(生物地球化学的循環など)に対する人間の影響は,現在,地球規模で多くの自然の力と同等かそれを上回っている。
  • 人間による環境変動の変化の速度は,ほとんどの場合,自然変動の速度よりもはるかに大きい。例えば,現在の大気中CO<sub>2</sub>濃度(産業革命前のレベルよりも約90 ppmv高い)は,少なくとも過去42万年間の大気中のCO<sub>2</sub>濃度の自然増加分よりも少なくとも10倍,場合によっては100倍速い速度で到達している。
  • 図に示した(省略)地球システムへのすべての変化は同時に発生しており,多くは同時に加速している。

 人新世第3ステージは、「大きく改善された技術と環境管理,地球に残された資源の賢明な使用,人間と家畜の個体数の管理,総合的な環境の慎重な処理と回復,すなわち,地球システムの責任ある管理によって,特徴づけられることを期待したい」と結んでいる。

 『人新世』を著したメリーランド大学の地理学者エリス(E.C. Ellis 2018)は、クルツェンの地球史の新しい時代(人新世)に対する提案が、2000年のメキシコで開かれた地球圏・生物圏国際協同研究計画(IGBP)会議の場で発せられたことは驚くべきことではないと言う。クルツェンはこの時、IGBPの副議長であった。翌年のIGBP会議では、システムとして地球を研究する必要性に焦点を当て、「地球変動に関するアムステルダム宣言」が合意された。以下はその宣言の一部。

 ・地球システムは、物理的、化学的、生物学的、および人的要素で構成される単一の自己調整システムとして機能する。

 ・地球の陸面、海洋、海岸、大気、および生物学的多様性、水循環、生物地球化学的循環に対する人為的変化は、自然変動を超えて明確に識別できる。それらは、その範囲と影響において、自然の偉大な力の一部に匹敵し、多くが加速している。地球規模の変化は現実であり、現在起こっている。

 地球システム科学は、地球の機能の動的変化の原因を調査し続けており、おそらく最もよく研​​究されているのは、人間が「自然の偉大な力を圧倒している」という主張である。これは、人間がシステムとして機能する前例のない変化を引き起こしているという決定的な証拠によって裏付けられた主張であるとエリスは述べている。

 このことが、クルッツェンの人新世の根底にあったのだ。

 
◆Crutzen, P.J. & Steffen, W. (2003):How long have we been in the Anthropocene era ? Climatic Change, Heidelberg, Springer,61,251-257. 再録,Benner, et al. (Eds)(2021):Paul J. Crutzen and the Anthropocene: A new epoch in Earth's history, Cham, Springer, 39-45.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆E.C.Ellis (2018): ' Anthropocene. A Very Short Introduction ', Oxford University Press. pp.32-33.
 
         
 
 
 9.地球システムと景観生態学
 
地球システム
E.C. Ellis (2017):Physical geography in the Anthropocene.
 Progress in Physical Geography, Vol. 41(5) 525–532
 
  地球システムとは,地圏(陸域),水圏(海洋),気圏(大気),生物圏,人間圏のサブシステムが相互に作用しあい,一つのシステムを形成しているとする考えである。
 地球システムは、「景観」でも「生態系」でも「環境」でもない(Hamilton 2015).
  
 
 人新世第3ステージ「地球システムの管理者の時代」において、今日、危ぶまれている地球の状態は、大きく人間圏に関わっている。
景観生態学(ジオエコシステム)
 
 横山原図
 景観生態学は気候、水、地形、土壌、地質(岩石)、動物、植物などの因子の相互作用に人間の営力が加わって一つの景観を形成するという考えである。
 この景観とは3次元の空間であり、一つのシステム(ジオエコシステム)をなす。
 景観生態学の対象は、景観の最小単位であるTop(エコトープ)からMikrochore(エコトープの集合体)までである。
 景観生態学の対象は陸域に限られる。
 
 人新世第3ステージ「地球システムの管理者の時代」において、私たちの行動・活動はジオエコシステムに組み込まれていることを考えて、地球に負荷を与えない行動をしなければならない。
 
 
 10.自然対人間
 

 人新世における自然対人間 

 かのプロメテウスによって火と術を与えられた人間は、その力によって地球上の自然資源を略奪し、意のままに改変して人為的景観をつくり出した。その人間の地球上への影響力によって、地球環境は悪化し、人間の生命そのものを脅かす事態となってきていることを、人新世は警告している。火を使用して森を切り拓いて農地を拡大し、銅や鉄などの鉱物を金属に変え、都市を建設してきた。そして18世紀の蒸気機関の発明は産業革命という化石燃料の消費にもとづく大量生産社会を作り上げ、さらに20世紀中頃からは核エネルギーの開発・使用、世紀の後半からは化石燃料を大量に消費して工業生産を拡大し、そしてブルドーザーによって大地が改変され、海が埋め立てられてコンクリートの大地と構築物が地表面を被うようになったのである。人間はこのように火と術によって、地球をいかようにも都合良く改変してきたが、そのツケが今、人間の生命を脅かす災いとなって降りかかってきているのである。その災いの1つは、COVID-19のパンデミックである。2020年1月から(2023年3月)までに世界で7億6500万人が感染し、692万人以上が死亡した。人新世の発想は、まさに火を用いた人間による自然への征服の否定に起因している。人新世第3ステージに入った今や、自然対人間から自然の中の人間へと思想の転換を図らねばならない。

  篠原(2018)は、ベイトソンの言葉を引用して、「人間には人工世界の構築を通じて自然環境を一方的にコントロールできるという考えが産業革命以後において優勢になったが、この考えが本当に正しいのかどうかが、現代において問われている」と述べている。また、ラトゥールを含む一部の社会科学者と哲学者は、自然/文化の二分法の終わりとして人新世を歓迎している。

 このような視点に関して、かつて高木(1986)は、西洋的な自然観がその根本にあると指摘していた。つまり西洋的な自然観は第1に「自然を人間にとっての克服すべき制約だとみようとする」としている。第2に「自然を人間にとってと有用性と考え、そこから能う限り多くの富と利潤を貪欲に引き出そうとする」と。第3には「人間の自然利用は、基本的に自然の私有を前提としている」とし、「土地やその上に生きる植物、そして水や売買の対象となり、商品価値を持つようになり、そのことがどれほど自然を傷つけたか」と記している。こうした人間中心主義からの転換として、3つの共生をあげている。第1は、この地上における全ての生命の共生(エコロジー的共生)、第2は、同時代、異なる地域、社会、エスニシティーの間の共生(人びととの共生)、第3に、過去や将来の世代たちとの共生である。不公平な問題として、現世代の排出する有害廃棄物をそのまま次世代に押しつけることの問題、修復不可能な環境破壊を残してしまうことの問題を指摘している。

 これら高木の指摘している有害廃棄物の問題や修復不可能な環境破壊(「地球の限界」)は、人新世第3ステージを生きるわれわれに課されている問題である。すでに30数年前に高木は、先見の明をもって人新世を語っていたのである。高木が指摘したように、「自然対人間」から「自然の中の人間」へと認識を転換しなければならない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆篠原雅武(2018):『人新世の哲学』人文書院、31頁。
 
◆Hamilton et al. "The Anthropocene and global environment crisis" Routledge,2015、pp.6.
 
◆高木仁三郎(1986):『いま自然をどう見るか』白水社、新装版(2011)、pp.19-20。
 
 
 
 
◆ 高木仁三郎(1986):『いま自然をどう見るか』白水社、新装版(2011)、
pp.272-273.
 
   11.人新世はイベント(Event)
 
人新世の捉え方
 人新世を更新世に続く地質時代として認めるかどうか、人新世をどのように解釈するかという議論が活発化してきたなかで、2022年にGibbartらは、「時代(Rpoch)ではなく出来事(Event)としての人新世」と題する論文を発表した。彼らは、「人新世を層序学的または地質年代学的用語(シリーズ/時代)ではなく、地球環境システムに広範囲にわたる影響を及ぼしてきた進行中の人為的イベントとして考える」という捉え方を示した。
 その背景として、Gibbard等は、人新世を提唱する際にクルッツェンは主に新しい正式な層序単位を定義しようとしたのではなく、むしろ地球に対する人間の影響力の増大に注目を集めていたのであるとし、人新世を次のように定義している。人新世は、「地球システムを変革し、そしてこれからも変革し続け、生物多様性に影響を及ぼし、それによって堆積地層と人為的に改変された大地に実質的で特徴的かつユニークな記録を生み出した人間の活動の集合的な影響である」と。 
 地質時代としての人新世に関して調査していた国際層序委員会 (ICS) の第四紀層序小委員会 (SQS) 内に設置された人新世作業部会 (AWG)は、2023年に人工物質の自然アーカイブが作成されたカナダのクロフォード湖を参照場所として指定し、人新世の始まり1950年とした。この結果を、2024年の韓国・釜山での世界地質学会議にで提案して決定する運びであったが、その前にAWGの上位機関の国際地質科学連合によって否定されたのである。
 クルッツェンは人新世の開始時期を西ヨーロッパの産業革命と一致する 18 後半ないし1800年頃としていた。その根拠として、「極地の氷に閉じ込められた空気の分析が、二酸化炭素とメタンの世界的な濃度の増加の始まりを示したとき」であると述べていた。この人新世の提案者の考えを尊重するならば、AWGが提案していた人新世の1950年開始が否定されたことは、むしろ歓迎すべきことかもしれない。私たちの地球の将来を考えながら、人新世の議論は継続していかねばならない。
   
 
Gibbard, P. et al. 2022: The Anthropocene as an Event, not an Epoch.
 JOURNAL OF QUATERNARY SCIENCE (2022) 37(3) 395–399
 
 
 
 
 
 
 
 
<https://www.riffreporter.de/de/wissen/streit-um-das-anthropozaen-fuehrender-forscher-haelt-abstimmung-fuer-ungueltig> 
 
 
 
 
  Crutzen, P.J.(2002):Geology of mankind. Natur, Vol.415, 23-24.